瀬尾 久仁 & 加藤 真一郎 ピアノデュオ・リサイタル2008
2008年7月17日(木)19時開演 東京オペラシティ リサイタルホール
ブラームス:ハンガリー舞曲集 第1集 モーツァルト:アンダンテと変奏曲 KV 501 森山智宏:Let's play a duet! for piano (2006瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ委嘱作品)日本初演 シューベルト:アレグロ(人生の嵐) D947 シューベルト:幻想曲 D940 シューベルト:ロンド D951
[主催] 瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ [助成] ロームミュージックファンデーション * NHK-FM「ベスト・オブ・クラシック」にて収録、放送
●プログラム・ノート● 加藤真一郎 1868年に第1集および第2集が出版されたヨハネス・ブラームス<ハンガリー舞曲集>は、最も「有名な」連弾作品といえる。ブラームスは1853年、ハンガリー人ヴァイオリニスト、エドゥアルト・レメーニの伴奏者として演奏旅行をするなかでハンガリー(ジプシー)音楽を知った。音楽上の方向性の違いから早々に伴奏者を「クビ」になってしまったブラームスだったが、この旅行途上で友人となったヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムを介してロベルト&クララ・シューマン夫妻と知り合い、そのことがブラームスを一躍ヨーロッパの楽壇へ登場させるきっかけとなった。1854年、ロベルト・シューマンがライン川へ投身を企てたその年のロベルトの誕生日に、ブラームスは初めて「ハンガリー民謡のメロディ」の譜面をクララへ贈っている。クララとはその後40年以上に渡って友人関係が続いたが、彼らは会うたびに連弾を楽しんだと伝えられており、この「ハンガリー舞曲集」もこの2人によって初演されている。この作品がこれほどに人気を博した理由は、刺激的なジプシー風音楽だけでなく、このようなブラームス自身の連弾演奏の経験からもたらされた驚異的に熟練した連弾書法もあろう。 本日演奏される第1集(第1番~第5番)は全4集、21曲からなるこの作品中最も有名なもので、全てがハンガリー(ジプシー)の音楽からとられている。また、シューベルトの連弾作品<ハンガリー風のディヴェルティメント D818>からの影響も大きい。
ヴォルフガング=アマデウス・モーツァルトは、姉のマリア・アンナ(ナンネルル)とともに幼少期より連弾を楽しみ、9歳で史上初の「連弾ソナタ」を作曲した。モーツァルトからの影響でヨーロッパ中の音楽家たちが連弾の演奏・作曲をはじめたことからもわかるように、本格的な連弾の歴史はモーツァルトよりはじまると言っても過言ではない。彼のピアノデュオ作品といえば、最近では<2台ピアノのためのソナタ K448>が特に有名だが、実は2台ピアノのための作品は少なく、彼はもっぱら連弾のために作曲している。1786年、モーツァルト30歳のときに作曲された<アンダンテと変奏曲 K501>は彼の最も短い連弾作品に属するが、室内楽的に緊密でありながらオペラ的要素も持ち合わせた、モーツァルトならではの明るさに満ちた作品である。
森山智宏<レッツ・プレイ・ア・デュエット>は、瀬尾&加藤デュオ初の委嘱作品である。シューベルトに影響されて音楽の道に進んだ森山氏は今年31歳、これまで連弾とは縁もなく、「連弾とは何か」ということから考えた結果・・・は、本人による解説も参照されたい。まさに「連弾の楽しさ」を体現した作品で、ぜひ目を「つぶらず」お聴きいただきたい。
<レッツ・プレイ・ア・デュエット>解説~森山智宏 この作品は、ピアノデュオ瀬尾久仁&加藤真一郎委嘱作品として、2006年10月、「フェスティヴァル・マイアミ」でのコンサート「ドラノフ・ゴールド!」で初演された。 現代では殆どレパートリーの無い「ピアノ連弾」という形態に、作曲は難航を極めたが、連弾が昔は男女の出会いの場であったこと、「ドラノフ・ゴールド!」という祝祭ムード、それに、私の語法に多大なる影響を与え、この年の6月に死去した作曲家Ligetiへ想いを廻らすうちにイメージが湧き、何とか作品にすることが出来た。勿論、瀬尾&加藤の絶大な存在は、常に、作曲する上での励みであり、また、新しい連弾の形を模索する同志であった。 曲は、風が吹き抜ける楽章、祭りと太鼓連打の楽章から成る。
フランツ・シューベルトは量・質ともに他の作曲家の追随を許さない作品を連弾のために残した。彼は「シューベルティアーデ」に代表される彼の音楽サークルで盛んに自演を行い、また後述するようにピアノのレッスンのためにも用いられた。今日演奏する3つの連弾作品は、奇跡的ともいえる傑作群(交響曲 D944、ミサ曲D950、弦楽五重奏曲D956、白鳥の歌D957、3つのピアノソナタD958~960)が生まれた1828年、彼の没年の作品である(彼はまだ31歳の若さだった)。
1828年5月に連弾ソナタの冒頭楽章として書かれたといわれる<アレグロ D947>は、この楽譜を1840年になって出版したディアベリによる命名「人生の嵐」としても知られている。この名のとおり、命を消費し尽くすかのような燃焼が印象的であり、またコラール的な部分などから彼の晩年の宗教心も垣間見える。また、曲中に用いられたシューベルト・リズムともいえる「タンタタ」のリズムが、彼自身の鼓動のように響く。
記録に残る彼の最も初期の作品は連弾のための<幻想曲 D1>(1810年、13歳)だった。1828年1月~4月、彼の最後の年に再び連弾のための<幻想曲 D940>が書かれ、この作品はシューベルトのみならず、全ての連弾作品のなかでの最高傑作といえる作品となった。彼の「流れるように作曲する」イメージとは裏腹に、この作品はとても入念に作曲したことが自筆譜からも読み取れ、それには、以下のような事情も反映しているようだ。
シューベルトの恋愛の話は、あまり知られていない。唯一、ピアノの弟子であったエステルハージ伯爵家の令嬢カロリーネとのことが(多分に脚色された形ではあるが)知られている。シューベルトはレッスンのために連弾作品を多数書いたのだが、彼女に捧げられた作品はなかった。次のような会話があったことが伝えられている。カロリーネが「なぜ私には曲を捧げてくれないのですか?」というとシューベルトは「すべての私の作品はあなたのために書いているのですよ」と言ったとか(言わないとか)。そんなシューベルトは死を前にしてようやく彼女にひとつの作品を捧げた。それがこの<幻想曲>である。
セレナーデ(恋人への思いを歌った歌)を思わせるリート風の主要部。憧憬のメロディはしかし途絶えがちで、休符から溜め息が聞こえてくるようだ。葛藤をあらわす(後にフーガとなる)部分との交代を経て、安息のテーマとなる。これは1818年、カロリーネとのはじめての出会いの時に書かれた<ソナタD618>からの引用でもあり、「うたうと、愛は痛みに、痛みは愛に変わる」というシューベルトの有名な独白が真に迫ってくる。それをつきやぶる「フランス風序曲」は、バッハによる用法からもわかるように「新しいものの再開」を象徴し、そこには新しいシューベルトさえ感じられるが、それは悲劇的に中断される。主要部が再現され、生死の葛藤、戦い。何度も抵抗するものの、敗れ去っていく。
シューベルト最後の連弾作品となった<ロンド D 951>は、同じA-Durのピアノソナタ、もっとも「シューベルト的な」ベートーヴェン作品であるソナタop. 90も連想され、悲劇的な<幻想曲>と違い、幸せそうな懐かしいシューベルトを見るようだ。それでも作品後半以降、彼が地上から別れていくように感じられるのは、どうしても「最後の作品」ということを思いうかべてしまうためかもしれない。また、曲の最後になって主題が初めてセコンド(下のパート)に出てくるとき、それはあたかもシューベルト自身の声を聞くかのようだ。決して幸せではなかった短い生涯にこれほど沢山の素晴らしい作品を残してくれた180年前の彼への感謝は、尽きない。
○アンコール○ ブラームス:ハンガリー舞曲第6番
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