瀬尾 久仁 & 加藤 真一郎 ピアノデュオ・連弾リサイタル
2014年5月29日(木)19時開演 ムジカーザ
ブラームス:ハンガリー舞曲集第2集 R. シュトラウス(トゥイレ編曲):交響詩《ドン・ファン》 op. 20 法倉雅紀:舟公宣奴嶋尓(柿本人麻呂の覊旅歌より)~連弾の為の (2013) ブラームス:愛の歌 op. 52(*) メンデルスゾーン:デュエット op. 92
[共演](*):声楽アンサンブル「にょっき」 熊谷美奈子(ソプラノ) 実川裕紀(メゾ・ソプラノ) 宮西一弘(テノール) 香月健(バリトン) [主催]瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ
プログラムノート
連弾(ピアノ1台4手)は、19世紀ヨーロッパの代表的な家庭音楽の担い手だった。今では考えられないほど広範に演奏され、その需要を満たすためにオリジナル作品、オーケストラ曲やオペラなどからの編曲が次々に書かれていった。家で音楽に触れるには自ら演奏するしかなかった時代、音楽は今より大切に扱われていたことだろう。
ヨハネス・ブラームス (1833-1897): ハンガリー舞曲集 第2集 (1869出版) 19世紀「連弾時代」の代表作といえば、まずブラームスによる《ハンガリー舞曲集》があがるだろう。5曲からなる第2集は、同時に出版された第1集に比べると知名度でいささか劣るものの、連弾作品としての内容はさらに難度の高いものになっており、ジプシー音楽の魅力だけでなく、ブラームスの連弾書法の素晴らしさを堪能できる傑作である。
リヒャルト・シュトラウス (1864-1949): 交響詩《ドン・ファン》 op. 20 (1889初演) ~ルートヴィヒ・トゥイレ (1861-1907) による連弾版~ 今年生誕150年を迎えたR・シュトラウスの出世作《ドン・ファン》。放蕩児ドン・ファンはモーツァルトの歌劇《ドン・ジョヴァンニ》でも知られているが、ニコラウス・レーナウの詩に基づいたこの交響詩ではドン・ファンの愛の遍歴と死が華麗なオーケストラによって表現されている。この作品を献呈された友人の作曲家トゥイレによる連弾版は紹介されることの稀なものだが、オーケストラを彷彿とさせるだけでなくピアノの可能性を十全に引き出しており、オリジナルに対してなお新鮮な魅力を持ち続けている。
ブラームス:愛の歌-ワルツ集 op. 52 (1868-69) 四重唱と連弾によるブラームスの《愛の歌》は18曲からなる連作で、愛をテーマとした歌詞はゲオルク・ダウマーがロシア語やハンガリー語などから翻案した「ポリュドーラ」からとられている。合唱指揮者としての活動・深い連弾経験、そしてワルツ=ウィーンへの愛というブラームスの大切な要素が組み合わさった作品といえるが、もっと個人的なきっかけとしてシューマン夫妻の三女ユーリエへの想いがあったようだ。ブラームスは出版にあたり「印刷された自分の作品をみて微笑んだのはこれが初めてです」と語ったが、ユーリエはそんな気持ちに気づくこともなく貴族に嫁いでしまい、またしてもブラームスの恋は苦い結末となってしまったのだった。
フェーリクス・メンデルスゾーン (1809-1847): デュエット op. 92 (1841) ゆっくりとした導入部と華やかな主部からなる《デュエット》は、1841年3月31日にライプツィヒ・ゲヴァントハウスで開かれた慈善演奏会でメンデルスゾーン自身がクララ・シューマンと共演するために書かれた。プリモとセコンドの対話が印象的なアンダンテの導入部は「音楽は言葉よりも千倍も素晴らしい」と語るメンデルスゾーンの無言歌=“言葉のない歌”そのもので、この初演の演奏も「経験したことのない、並外れた美しさ」と讃えられた。 この演奏会では《デュエット》の前にロベルト・シューマンの《交響曲第1番》がメンデルスゾーンの指揮により初演され、またクララはショパンの《ピアノ協奏曲第2番》を演奏している。・・何と心弾む時代だったことだろう! (加藤真一郎)
舟公宣奴嶋尓 について
題名について、言葉の揺籃期に活躍した万葉きっての天才歌人である、柿本人麻呂の覊旅(きりょ)歌の一番目の歌の一節である。
三津の崎 波を恐こみ 隠り江の 舟公宣奴嶋尓
最後の6文字が訓義未詳、つまり読めなくなっているのだ。いままでに色々な試訓がなされているが、定訓に至るものはない。
当時の万葉仮名は海外からの輸入されたものであり、発音を漢字に当てたもの、と理解されている。しかし当時の中国語や韓国語で読み解いていくと意外な別の意味が広がってくる。 この八首による関西地方を舞台とした美しい情景を表現した作品の裏側に、何か別の意味が込められているのではないか?? 未だに私は、その様な興味を抱き続けている。人麻呂はどの様な意味を込めていたのだろうか?
この作品は昨年6月のグループNEXT作品展で初演された。 とても難解で超絶技巧の(それも連弾で!)作品ですが、ピアノデュオで大活躍中の加藤真一郎さん、瀬尾久仁さんの素晴らしい再演がとても楽しみです。 (法倉雅紀)
愛の歌-ワルツ集 op. 52 詩はダウマー翻案の「ポリュドーラ」から
1. ねぇ口をきいてよ 愛しい人 ぼくの冷たかった胸に きみは眼差し一つで 燃える想いを投げつけたんだ
きみは心を和らげてくれないの? それとも お堅くも 愛の喜びを味わわずに寝てしまおうというの? それともぼくに来てほしいの?
愛の喜びを味わわずに寝る? そんなわけないでしょう さあ来て 黒い瞳の人 来て 星が見えている間に
2. 川の流れが岩場に当たれば 音を立て激しく打ちくだるように ため息など知らぬという輩も 恋をすれば自ずと思い知るだろう
3. あぁおんな 歓びをとろけさせるおんな もし修道士になっていたら おんななんて知らなかったんだなあ
4. 夕暮れ時の美しい紅色のように わたしはまだ小娘だけど 恋に燃えたい ただあの人に好きになってもらえるように 尽きることのない歓びを満ち溢れさせたい
5. 芽を出して間もないホップは つるを地に這わせる 若く美しい娘は 悲しげに気を落としている
若々しいつるよ なぜ青空に向かって伸びようとしないのか 美しい娘よ 何が心にのしかかっているのか
つるは支え無くして 伸び上がることができるだろうか 娘は恋人が遠くにいて 陽気でいられるだろうか
6. ちいさくてきれいな鳥は 果物がたくさん実った園にむかって飛び立つ ぼくもちいさくてきれいな鳥だったら きっとそうするだろうになぁ
とりもちの罠が待ち構えていた かわいそうな小鳥はもう飛べなくなってしまった ぼくがちいさくてきれいな鳥だったら きっとそんな事にはならないけどなぁ
小鳥は美しい手の中にやってきた 恐れはなく幸せだった ぼくがちいさくてきれいな鳥だったら きっと同じようにするだろうなぁ
7. 愛情においても 人生においても かつては本当に満ち足りていた
壁をへだてて そう 十枚の壁をへだてても
彼の優しい目が 私を見出してくれた
それが今では あの冷たい人ときたら
すぐそばに そう 目の前にいたとしても
彼の目も 彼の心も わたしに気づきやしない
8. きみの目がそんなにも優しく 愛らしくぼくを見つめると ぼくの世界を灰色にしていた どんな闇もすべて消え去る
この愛のすてきな情熱を どうか消え去らせないでくれ 誰もぼくのように誠実に きみを愛する人はいないだろう
9. ドナウ川の岸辺に 一軒の家があり その中には 美しい娘が住んでいる
その娘は とても大切にされていて そのとびらには 十本の鉄のかんぬきがかけられている
十本の鉄のかんぬき! 上等だ! ガラスみたいに たたっ壊してやる!
10. おぉ 湧き水が穏やかに 草はらを流れていく! あぁ 愛が愛にめぐり合うって なんてすてきなんだ!
11. だめだ 彼らとうまくやっていくなんて もうたくさんだ すべてのことを 意地悪く解釈するのだから
朗らかにしていれば 気が抜けているといい 黙りこんでいれば 恋に狂っているというんだ
12. 起きろ鍵屋!鍵を作ってくれ! 数えきれないほどの鍵を! そうしたら意地悪な口を すべてふさいでやるんだ!
13. 小鳥がはたはたと飛び回り しっかりとした枝を探している わたしの心も熱望している 憩いを得られるもう一つの心を
14. ほら 月が上から覗けば さざ波は美しくきらめき返している ぼくを愛しておくれ 心から愛する人よ
15. 星がきらめく時 ナイチンゲールも美しく歌う いとしい心よぼくを愛してくれ この暗がりでキスをしてくれ
16. 恋は暗く深い穴 とっても危険な井戸だ ぼくはまんまとそこに落ちてしまった 何も聞こえず何も見えず 歓ぶことをただ想い描き 悲しみの中でうめくことしかできないのだ
17. ぼくの光よあの野原を どうか歩きまわらないで きみのやわらかな足が 濡れてしまい 弱ってしまうから
道という道は 水であふれかえっているよ あんなにもたくさん ぼくが涙を流したのだから
18. 茂みがふるえた 飛び立つ小鳥が 触れたのだ ぼくのたましいもまたふるえる きみのことを想うと 恋に 喜びに 悲しみに 揺さぶられるのだ
[訳: 香月 健]
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